代理戦争と宗派対立



イエメン共和国は、第一次大戦後、オスマン・トルコ帝国から独立した北イエメンとイギリスの植民地だった南イエメンが1990年に統一され成立しましたが、1994年に旧南側勢力が再独立を求め、イエメン内戦が勃発。その後もサレハ大統領による軍事独裁政権のもと不安定な状況が続き、アルカイダの拠点になってしまいました。


2011年には「アラブの春」をきっかけに、国内で反政府運動が高まり、サレハ大統領が辞任。その後、副大統領だったハディ氏が暫定大統領に就任しましたが、その間にイスラム教シーア派の武装組織「フーシ派」がイエメン北部のサアダを占領し、勢力を拡大。そして、2014年9月にフーシ派が首都サヌアに侵攻し、2015年1月にはハディ暫定大統領が辞任して政権が崩壊。2月にはフーシ派が政権掌握を宣言しましたが、ハディ暫定大統領も辞意を撤回、フーシ派との対立を強めて現在は大変な内戦状態になり住人には多くの死傷者がでています。


このような国を分断する内乱状態は結局いつものパターンのイスラム教の宗派対立を煽る大国のエゴが引き起こしたものの典型例ですね。フーシ派は少数派のシーア派、政府側はスンニ派であり、ここでもイランと英米セットでのサウジとの代理戦争というのが実態でしょう。

しかし本音を言えばなぜイスラム教は宗派の違いを理由にこれほどいがみ合いひどい場合には殺しあうのでしょうか、もっと言えば紛争の本質が彼らにはなぜ見えないのでしょうか?
あえて日本で言えば例えば真言宗と浄土宗が宗派の違いを理由に、お互いを憎みあい各々武装して殺しあう事がありますか。真言宗に保守系の勢力が結集し、浄土宗に和式リベラル系がついて、国を分断する悲劇が起こるでしょうか。


シリアも同様ここまでくれば、イスラム教とは一体何なのか、もっと言えば一神教をその中心に据える教義は何か間違っていませんか?

日本ではクリスマスが近づけばにわかクリスチャンが増え(ルミナリオとかいって有難がり)、身内に不幸があればにわか檀家になり(我が家が何教か親に尋ね)、お正月には神社に初詣に出かけ(パンパンと見事に柏手を打ち)、その各々が相手をけっして攻撃することもなくむしろ和気あいあいにお互いを尊重しているように僕には見えます。
一神教でない僕たちは、信心の深さが足りませんかね、それともいわゆる神仏混交は外国の宗教もアウフヘーベンしてものの見事に「和を以って貴く」世界に冠たる独自の宗教観を達成していますか。でなければ外国の勢力にあやつられ宗派の違いを理由にお互いに憎みあい殺し合うことが正しい事ですか。
であるなら、トランプさんではありませんが残念ながらややこしい教徒は日本に入国を禁じなければなりません。


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