投稿

4月, 2019の投稿を表示しています

74年前の沖縄戦に思う

イメージ
糸満市にある沖縄本島最南端には平和の礎(いしじ)があります。沖縄戦での犠牲者のお名前をできる限り忠実に石碑に記したものですが、その石碑は都道府県別、国別に並んでいて、当然のことながら県外の犠牲者はほとんどが男性であり、地元では女性が多くなっています。 この時期には日本軍主力はほぼ壊滅状態であって、多くの徴用兵は地方の酒屋のおじさんであったり年配の教員であったりとごく一般の方々だと思われます。 現在ここに刻まれたお名前は、国内、海外を合わせて約15万弱でありそのうち県外の方は7万強になっています。 沖縄を守るためにこの年の四月には当時世界最強の戦艦大和は連合艦隊の海上特攻の命令を受領、呉港を出港し沖縄に向かう途中鹿児島県沖で、米空母の艦載機による集中攻撃や無数の魚雷攻撃によって沈みました。 地上戦によって、多くの沖縄の人々の命が失われましたが全体の約半数が県外であった事も、沖縄を守ろうとした強い国家意識を感じます。 平和記念公園 今回は昭和二十年の四月といった時期にどんな事が起こったのかを感じるために、以前からお参りしたいと思っていました、チビチリガマや義烈空挺隊玉砕之地に足をのばしてみました。 読谷村は沖縄本島のやや北部に位置し、那覇からは車で一時間強といったところにチビチリガマと義烈空挺隊玉砕之地には掩体壕も残っています。 掩体壕(えんたいごう)とは、軍事目的で戦闘機や資材等を敵の空襲から守るために作られたかまぼこ型の壕であり当時は日本各地にありました。ここでは中までは入れませんでしたが結構広い空間となっています。 柵の内側には三枚のパネルが掲げてあって、集団自決のことが記述されています。一部引用しますと、「集団自決とは国家のために命を捧げよ、といった皇民化教育、軍国主義教育による強制された死であり、云々」とあります。 掩体壕 この『義烈空挺隊』が行った『義号作戦』は、爆撃機が強行着陸して破壊活動を行い、飛行場が機能停止状態に陥っている隙に、沖縄周辺海域にいる米軍艦艇を攻撃するという作戦でした。 『義号作戦』には、12機の重爆撃機が投入され、熊本から沖縄に向けて出撃したものの、4機が故障で九州に引き返し、内5機が米軍に撃墜され、残った3機の内、1機は読谷飛行場へ、2機は嘉手納基地へ向かいまし

ブログとB級グルメ

イメージ
自分のなかにある情報だけで文章を書こうとすれば、経験に基づいた私小説的なものしか書けないように思います。そして、経験はすぐに枯渇しますし、僕が半世紀以上の間経験した事や記憶や会得した事は現在では数千円のメモリーチップに収まってしまうのかもしれません。 インプットがない状態では、恒常的に文章を書き続けるのは不可能なのかもしれません、つまりゼロを1にするスタイルでは、すぐに終わりがきてします。本当に必要なのは、100を1にまとめる能力だろうと思うようになりました。 たとえば藤子・F・不二雄は、次のような事を述べています。 (以下出典不詳) よく「漫画家になりたいなら漫画以外の遊びや恋愛に興じろ」だとか「人並の人生経験に乏しい人は物書きには向いていない」だとか言われますが、私の持っている漫画観は全く逆です。 人はゼロからストーリーを作ろうとする時に「思い出の冷蔵庫」を開けてしまう。自分が人生で経験して、「冷蔵保存」しているものを漫画として消化しようとするのです。 それを由(よし)とする人もいますが、私はそれを創造行為の終着駅だと考えています。家の冷蔵庫を開けてご覧なさい。ロブスターがありますか?多種多様なハーブ類がありますか? 近所のスーパーで買ってきた肉、野菜、チーズ、牛乳・・・どの家の冷蔵庫も然して変わりません。 人生経験自体が希薄で記憶を掘り出してもネタが無い。思い出の冷蔵庫に何も入ってない。必然的に他所から食材を仕入れてくる羽目になる。漫画制作でいうなら「資料収集/取材」ですね。全てはそこから始まる。 その気になればロブスターどころじゃなく、世界各国を回って食材を仕入れる事も出来る。つまり、漫画を体験ではなく緻密な取材に基づいて描こうとする。ここから可能性は無限に広がるのです。 (引用おわり) 最近妻の仕事が立て込んでいて、帰りも遅くなりますし深夜まで自室にこもって仕事していることが多いので、帰宅してすぐに食べやすく結構腹持ちがいいもの、と考えてみましたが、やはり考えるだけでは思い浮かぶレシピはすぐに枯渇してしまいます。 台北の夜市の屋台で食べたあの味、新世界や鶴橋のB級料理の旨さ、石垣の漁師さんが朝とってきたばかりの海鮮料理の新鮮さ、NYのWALL街のピザの味、京大の学食のボリューム、などなど

令和

イメージ
万葉集巻五 梅の花の歌三十二首の序文 初春の令月にして、気淑く風和らぎ 梅は鏡前の粉を披き、蘭は背後の香を香らす 万葉集の歌の意味は言うまでもなく、まだ薄ら寒い月の中しかし風はやや春を思わせる感じの中、梅が咲き誇り、蘭はその香りを香ばしくする、という季節感の中に新しい時代を希求する国民がたおやかに暮らしてゆける願いを込めているものだと思われますね。 実に季節感にあった、春の訪れの喜びと御代代わりを祝ういい解釈ができると思いますとともに、「令和」の字にはもちろん他の意味もありますがここではそれとは違う意味で使われていることが、興味深いですね。 以下安倍首相の談話を簡単にまとめますと、 日本の国柄を次の世代に引き継いでいき一人ひとりの日本人が明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせる国でありたい。 平成の30年間は改革が叫ばれた時代だった政治改革、行政改革、規制改革、抵抗勢力など。 大きな議論を巻き起こした平成時代を経て現在の世代は改革を前向きにとらえていると思う。 歴史上はじめて桜を思わせる記録が出てくるのは、古事記に記述されている、木花咲耶姫命(このはなさくやひめ)という天孫降臨なさった瓊瓊杵命(ににぎのみこと)の妻が愛でたとされています。 しかし時代が大きく下って奈良時代になると当時は花といえば梅であり、日本固有のものでない桜は神聖なものと、みられていたようです。 したがって万葉の時代の花見は梅であったようですね。 ここでさらに新元号をB級流の読みをいたしますと、「令」の一般的な意味は~に~をさせるという使役動詞としての役目が多く、英語でいえば「let」ですね。 つまり、用法としては、 I let him go.(僕は彼を行かせた)とか My father let me drive his car.(親父は僕に車を運転させた)になります。 さらに中国語でも~をして~せしむ、というニュアンスが強く、用法としては、 这件事令我深思。(このことで僕は深く考えさせられた)とか 令全军待命。(全軍を待機させる)になります。 したがって、令和とは中華圏に住む人であればするっと「平和を命令するんだ」と受け取られかねず、実際中国人の友人に尋ねると「これからの日本は世