ブログとB級グルメ


自分のなかにある情報だけで文章を書こうとすれば、経験に基づいた私小説的なものしか書けないように思います。そして、経験はすぐに枯渇しますし、僕が半世紀以上の間経験した事や記憶や会得した事は現在では数千円のメモリーチップに収まってしまうのかもしれません。

インプットがない状態では、恒常的に文章を書き続けるのは不可能なのかもしれません、つまりゼロを1にするスタイルでは、すぐに終わりがきてします。本当に必要なのは、100を1にまとめる能力だろうと思うようになりました。

たとえば藤子・F・不二雄は、次のような事を述べています。
(以下出典不詳)
よく「漫画家になりたいなら漫画以外の遊びや恋愛に興じろ」だとか「人並の人生経験に乏しい人は物書きには向いていない」だとか言われますが、私の持っている漫画観は全く逆です。

人はゼロからストーリーを作ろうとする時に「思い出の冷蔵庫」を開けてしまう。自分が人生で経験して、「冷蔵保存」しているものを漫画として消化しようとするのです。

それを由(よし)とする人もいますが、私はそれを創造行為の終着駅だと考えています。家の冷蔵庫を開けてご覧なさい。ロブスターがありますか?多種多様なハーブ類がありますか? 近所のスーパーで買ってきた肉、野菜、チーズ、牛乳・・・どの家の冷蔵庫も然して変わりません。

人生経験自体が希薄で記憶を掘り出してもネタが無い。思い出の冷蔵庫に何も入ってない。必然的に他所から食材を仕入れてくる羽目になる。漫画制作でいうなら「資料収集/取材」ですね。全てはそこから始まる。

その気になればロブスターどころじゃなく、世界各国を回って食材を仕入れる事も出来る。つまり、漫画を体験ではなく緻密な取材に基づいて描こうとする。ここから可能性は無限に広がるのです。
(引用おわり)



最近妻の仕事が立て込んでいて、帰りも遅くなりますし深夜まで自室にこもって仕事していることが多いので、帰宅してすぐに食べやすく結構腹持ちがいいもの、と考えてみましたが、やはり考えるだけでは思い浮かぶレシピはすぐに枯渇してしまいます。

台北の夜市の屋台で食べたあの味、新世界や鶴橋のB級料理の旨さ、石垣の漁師さんが朝とってきたばかりの海鮮料理の新鮮さ、NYのWALL街のピザの味、京大の学食のボリューム、などなど
まだまだ、行ってみたいところや食べてみたいもの、それに手作りで知人などからいただいた惣菜、ようはインプットなければレシピもブロクのコラムもすぐに枯渇してしまうという事でしょうか。

という事で、以前SFのフィッシャーマンズ・ワーフで食べたアメリカンクラブサンドとクラムチャウダーのレシピをメモフォルダーから取り出して今夜の夕食と致しました。おもいっきりB級です。
これからも大いにB級グルメ取材の旅が必要でしょうね。

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