フグが食べたい(やはりB級)


おしせまって来たというのにフグを食べたのはまだ今年は一度きり、何とか大鍋で和気あいあいとトラフグの大きいやつを熱燗で一杯やりながら楽しみたいところです.。一杯やるとしたら一杯一杯復一杯と(李白)の句が頭の中に思い浮かんで来ました。

        山中與幽人對酌 
        兩人對酌山花開
        一杯一杯復一杯
        我醉欲眠卿且去
        明朝有意抱琴來

しかしよく考えてみると、なぜ李白とフグなのでしょうね。李白は言うまでもなく盛唐の詩人で長安(今の陝西省西安)で当時の玄宗皇帝に仕えました。西安は大陸の内陸部に位置する古都でもちろん海などはありません。結構現地では海を見たことがない人も多いそうです。中国語では海のことを大海(dahai)といい単に海とは言いません。いかにも目の前に広がる大海原を見た人の感動さえあらわしている語だと思いませんか。
同じように月も、月亮(yueliang)といい単に月とは言いません。亮は美しく輝くものをあらわし、月が空に存在する不思議な有様がうまく表現出来ていると思います。
でも種明かしをすると、中国語には訓読みはありませんから海や月を一文字で音読みすると単にhaiとかyueになって当たる字が多すぎて訳わからん、ということになりかねないので一般名詞には二文字にしているのが多いものだと僕は思います。

話をもとに戻すと、フグで一杯やる事で李白の句を思い出すのは一体どういうつながりがあるのでしょうか?
そこで更に考えてみると、同じようにフグのことは中国語で河豚(hetung)と言い川の意味が含まれています。今の漢語のもとが中原といわれる陝西省の東部で出来上がっていった事を考えると海の替わりに大河がその役割を果たしたのかも知れません。西安には海はありませんが渭河(weihe)という大河が郊外に流れています。昔はこの大河を超えてこれより西は都の外の地として化外の地に赴任する役人を見送るためにみんながここの畔で酒を酌み交わして別れを惜しんだものでした。
その詩が王維の有名な

         送元二使安西 
         渭城朝雨潤輕塵
         客舎青青柳色新
         勧君更盡一杯酒
         西出陽關無故人
とまた酒が出てきますが、

陽関跡
ちょっと語句を説明しておくと、「安西」は唐代の西の果てにあった守護府で、新疆ウイグル自治区のトルファン辺りにあったとされています。そうですね西安から西に2500キロ近くありますかね。
「渭城」は渭河を挟んで西安と向かい合う街で現在の陝西省咸陽です、西安の国際空港があったり、始皇帝の阿房宮跡それに前漢(中国では西漢と言います)代の貴族の墓地が山ほどありますがほとんど後代に盗掘され現在は荒れ果てたものです。
「陽関」は敦煌の西南約70キロにある天山南路の関所で、西の最果てであってその先はひたすらタクラマカン砂漠ですね。またシルクロード(丝绸之路)には北にもう一本天山北路が伸びていてそこのあったのが有名な玉門関でした。いずれにしてもそこには「故人」つまり知った人は誰もいないと、作者は嘆いています。

やっと李白→長安→渭河→川→河豚→フグとつながったところで、さて思いを5000キロ以上離れた陽関からここに戻して、一本つけてもらってフグを食べる事ができたかと言うと、大丈夫何とかありつくことが出来ました。ただし残念ながらトラクグではなくってサバフグでしたけどね。サバフグで一杯やりながらふと思ったのですが、やはりフグで一杯→一杯一杯復一杯→李白と辿った方がもともと圧倒的に近道でしたね。なんともはや。
















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