永平寺と越前がに

永平寺は今から約 770年前の寛元二年(1244年)道元禅師によって開かれた座禅修行の道場です。境内は三方を山に囲まれた深山幽谷の地に大小70余りの建物が並んでいます

永平寺を開かれた道元禅師は正治二年(1200年)京都に生まれ、14歳のとき比叡山で出家し、24歳の時中国にわたり、天童山の浄土禅師について厳しい修行をされて、お釈迦様から伝わった「座禅」という正しい仏の教えを受け継がれて日本に帰られました。
はじめ京都に道場を作りましたが、寛元元年(1243年)波多野義重公の要請もあり越前の国(福井県)に移られ永平寺を開かれたのです。
現在は曹洞宗の大本山として、僧侶の育成と檀信徒の信仰の源となっています。
(お寺のパンフレットから抜粋)

道元禅師が渡った当時の大陸は南宋末期であり、中国人なら誰でも知っている「尽誠報国」の英雄岳飛(yuehei)も没して百年以上たち再びモンゴル人の元との戦争が勃発した頃で、時代の栄華は見る影もなかったことでしょう。それに比べ唐代の最も文化が花開いた時期に空海が長安(現在の西安)の青龍寺で修行し帰国の後真言宗を拓いた頃と比べてとても厳しい時代であったことが空想できますね。

実は母から聞いていましたが、曹洞宗は柿木家の信仰する宗派であり一昨年父が亡くなり一度この永平寺にお参りをしたいとのことでしたので、妹夫婦とともに訪れる事となりました。

主な建物である、説法や各種法要が行われる法堂(はっとう)、釈迦牟尼仏が祀られている仏殿、修行僧の道場である僧堂、食事や来客の接待の間である大庫院、見事な絵天井大広間の傘松閣などが廊下でつながっている伽藍配置は初めて見たものですから、少々興奮気味にお参りをいたしました。
ただ、年末が迫っていることもあってか訪れる観光客は京都と比べ随分少なく、美しい紅葉のなかゆっくりと拝観することが出来たように思いました。

さて車を留めさせてもらったお土産店で羽二重餅や吟醸酒を買い、いい時間になってきましたがお昼は名物のおろしそばで手早く済ませてお目当ての越前海岸に向かって車をとばしました。越前がには11月の初旬に解禁となっていますので、きっと浜上げされ大釜で茹でたての新鮮なものが手に入るはずです。

結果は閉店間際(4時頃かな。。)に滑り込んで、B級と言ったら失礼な立派なカニにしかも産地ならではのお値打ち価格で出会うことが出来ました。
やはり解禁直後の蟹は身が詰まっていて手で持ってみてもずっしりとした重みが感じられます。いわゆるブランドガニと言われている越前がには、鳥取や香住などの日本海側の産地ではズワイガニとかまた松葉ガニと呼ばれるところもありますが、同じ種類のカニですね。
しかも今回はブランドタグがしっかりついて、漁師さんの品質保証付き、といった感じでした。
また、浜で上がったカレイの干物も脂がのっておいしそうだったので併せ調達し、カニ鍋を頭の中で想cc像しながら、大阪に大急ぎで帰る帰る。。。

 お墨付き通りに脚には、真っ白なできれいな身がしっかり詰まっていましたので鍋でしゃぶしゃぶして頂きましたが、ほんのり甘くて素晴らしい食べごたえです。きっと長く煮すぎたり、まったく湯を通さないよりもほんの数秒のしゃぶしゃぶがベストのようです。蟹酢などは全く必要がありませんね。また今年の白菜は結構甘く、豆腐と併せてこれはポン酢と柚子胡椒でばっちり決まりました。

更に甲羅酒も決まり、おそらく永平寺のご利益を受けて蟹味噌ととの相性も申し分ありませんでした。合掌。
以前にも書きましたが、僕は立派な海老や旨い蟹なんぞのA級食材とお酒と龙包(チャイナドレス)のお姉さまの組み合わせで還暦なのに調子にのっで馬鹿が懲りずに何回も何回も何回も何回も・・・・・・失敗しているので、前々回の上海ガニでの体たらくを思い出して、今回はお姉さまがいらっしゃらないにしても用心のため、せっかくの吟醸酒を超セーブモードで頂くことにいたしました。

上海ガニでの件はまた機会があれば、日本の恥ですが、いずれご紹介しようと思います。

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