八重山博物館
僕は全く知りませんでしたけれど、何を考えさせられたかというと八重山の文化は12世紀頃から始まったということです。つまりそれ以前は有史以前ということになり土器さえも発見されない無土器時代というそうです。京都では鴨長明が都の逸話をあれこれと方丈記に書いていた頃にあたりますね。平安末期から鎌倉初期は言うまでもなく大変な乱世の時代でしたがその頃に八重山地方ではようやく石器や土器で腰蓑をつけて生活が始まったとはたいへん興味深い事です。
でも展示してある石器をしみじみと眺めていると、この地方の歴史が始まったと同時に当時の人はこの道具を使って食事を作っている様子が彷彿としてきます。多分稲作が始まるのは更に時代が下ってからでしょうから、昨日僕が居酒屋で食った刺し身や肉を美味しそうにほうばっていたのかも知れません。ひょっとして案外B級グルメを楽しんでいたのでしょうか。人間の楽しみのひとつとしてやはりものをおいしく食べるということがあります。この気候温暖な地方で目立った争いもなく、お腹が空けば海で魚をとり、口を開けて山を歩いているとバナナが口の中にきっと落ちてきたのでしょう。沖縄の人たちの温かい人柄からも容易に想像ができますね。
さて特別展で何を発見したかというと一枚の感謝状です。民国九年五月とありますから西暦でいうと1920年にあたります。辛亥革命によって清朝が滅びその後我が国は北京政府ともめていたころです。
福建省の漁師たちが暴風雨に見舞われ難破し当時の八重山郡尖閣列島和洋島に漂着したところ日本帝国沖縄県八重山郡石垣村長の豊川氏が懸命に救助にあたり、無事福建省に生還できた事に対する感謝状が中華民国長崎総領事から来ていました。
つまり国同士は当時も対華21条要求から全土で反日運動が起こって大変でしたが、民間の交流は当然ですが何ら支障なく行われていました。そして当時の中華民国(北京政府)は尖閣列島が日本帝国沖縄県にあるという事を正式な公文書で表しています。きっとこのような公文書は日中両国に山のようにあるに違いありませんね。何をか言わんやです。
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