台南神農街にて考えたこと
台湾はどこでもそうかも知れませんが、台南にはいたるところにお寺(廟・ミャオと読みます)があり朝早くから近くに住むお年寄りが中心となって手厚く手入れされその深い信仰が台湾人の心の拠り所になっています。
ここは台湾でも最も古くからお寺が開かれた地域であり、一種観光スポットにもなってる神農街といいますが、僕も朝早くから訪れちょっと考えてみました。
日本 統治 時代、 日本人 は 台湾 に 近代 農業 を 持ち込み、 収穫 量 を 飛躍的 に 伸ばし ました。 大陸 から 渡っ て き た 国民党 は 軍人 や 公務員 が 多く、 農業 の 専門家 は ほとんど い ませんでしたので 台湾 人 は 日本 時代 に 会得 し た 技術 を 自力 で さらに 発展 さ せ、 八田与一 が 中心 に なっ て 造り上げ た ダム による 灌漑 も あっ て、 台南 を 含め た 嘉 南 平野 は 不毛 地帯 から、 台湾 一 の 穀倉地帯 へと 成長 し ました。
そのあたりの様子は映画「KANO-もうひとつの甲子園」にリアルに描かれています。
20世紀初頭の日本は、台湾で学校や病院を作り鉄道を敷きいわゆる社会インフラを構築しました。今も現役で走ってるローカル鉄道が何だか懐かしい感じがするのはそのためです。日本語が話したくてうずうずしているおばあちゃんが僕が日本人だとわかると、「わたし、昭和2年生まれよ!」等とニコニコして話しかけてくれるのはそのためです。さらにおっしゃってました。「わたし、中共嫌いよ。」
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