70年目を迎えた二二八事件
台湾では比較的大きな都市には街の中心部に二二八紀年公園があります。今年の2月28日はちょうど70年目を迎えるということで、ここ台北市の二二八紀年公園でも二二八事件の慰霊祭が挙行されました。僕も含めて殆どの日本人は70年前に起こったこの事件ばかりか、かって台湾が日本国であった事やなぜ台湾が国際社会の中でのけものにされ、オリンピックなどにはひとつの国家としてではなくChainese Taipeiなどという訳のわからない名称で呼ばれているのか、はっきりと説明出来ないのではないでしょうか。
(ウィキペディア引用)
「二・二八事件(ににはちじけん)は、1947年2月28日に台湾の台北市で発生し、その後台湾全土に広がった、と中国国民党政権(外省人(在台中国人))による長期的な民衆(当時はまだ日本国籍を有していた本省人(台湾人)と日本人)弾圧の引き金となった事件
1947年2月27日、台北市で闇菸草を販売していた本省人女性に対し、取締の役人が暴行を加える事件が起きた。これが発端となって、翌2月28日には本省人による市庁舎への抗議デモが行われた。しかし、憲兵隊がこれに発砲、抗争はたちまち台湾全土に広がることとなった。本省人は多くの地域で一時実権を掌握したが、国民党政府は大陸から援軍を派遣し、武力によりこれを徹底的に鎮圧した。」(引用ここまで)
午後二時からだというので三時前に現場を訪れてみてちょっとびっくりしました。
厳かな雰囲気の中で犠牲者を弔う式典を予想していたのですが、ものすごい警官隊の警備の中「台湾独立」のノボリを掲げた大勢の抗議デモのような状況になっていました。
しかし更に不思議なことに、抗議側と警官隊側があたかも和気あいあいといった感じでよく見ると、笑顔で会話を交わしたりしています。(多分普段は友人なのでしょう)抗議側がマイクを握り「中共の侵略は許さない」とか「台湾の自由と民主主義を守ろう」などを訴えますがどれも当たり前の事です。
僕は、独立などと敢えて事を荒立てなくともすでに台湾は自由と民主主義、三権がきちっと分立した立派な法治国家だと見ています。ただ北京政府によるあからさまな人権弾圧や台湾人が最も大切にする信仰や信条の自由(日本国民は殆ど知りませんが法輪功信者への臓器狩り)の侵害などを台湾国民はよく知っているのです。そして問題は国際社会がOne chaina policyをなんとなく認めてしまっていて、国連などから台湾は相変わらず中国の一部の地域とみなされひとつの国家として扱われていないという事です。
しかし現状は選挙で選ばれた首長や議員がいて、しかも多少リベラルではありますがきっちとした行政も行われ、高度な教育による工業化した社会があり、さらには未だ形式上は国民党の軍ではありますが国防を担う優秀な軍隊も存在します。
僕は前から思っていますが、この際台湾は目立たないように少しずつ公用語を日本語に戻し、そして沖縄の米普天間海兵隊基地や嘉手納の空軍基地の一部を台湾の山奥にこっそり移転すればどうでしょう。そして日米台で強力な安全保障体制を作り上げ東・南シナ海の公海での国際法の順行や自由世界の確固とした基盤構築を図ればよいと考えます。ジョン・ボルトン前国連大使も言ってましたが、そうすれば台湾は空母20隻分の軍事プレゼンスになるとのことでした。
でももしこの作戦が近平にばれたらきっとものすごく怒るだろうなあ。
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