僕の語感について

語感にあわない言葉

語尾上げ言葉の不快感は言うまでもありませんが最近どうも僕の語感に合わない言葉そのものがありますね。
50数年前に、大阪市で生まれごく 普通の日本人である僕は確かに海外に過ごしている時間は累計では結構な長さかもしれませんが、日本語の元となった関西の言葉がひとりの日本人としてその中心を成していると思っています。もっと言えば関西の語感というものがもしあるとしたら正しい日本語(所謂標準語ではなくて)を話す事はアジアの国々だけでなく欧米の国からも尊敬を集める国の国語としてとても大事なことだと思っています。すなわち関西の語感の中には2000年以上続いてきたこの国の文化や物の考え方、そんなものによって育まれる行動の原理のようなものがいっぱい詰まっているような気がします。
父から教えられたり祖父から教えられた言葉、その中で育まれた僕の語感というものをもっと大切にしなければならないと心から思っています。

生前退位
これには何やら生前贈与のような安っぽい語感があります。このような言葉を東京のマスコミがキーとなって全国に撒き散らしている事はどうでしょうか?
これは明らかに「ご譲位」というべきであり歴史的にも「生前退位」などというけったいな言葉は僕は聞いたことがありません。
もっと酷いのは「天皇陛下のご英断」
これも明らかに「天皇陛下のご聖断」であって、ヒーローがちょっと気の効いた決定を下すというイメージが「英断」からは感じ取れます。
ついでに申しますと天皇陛下のお言葉の事を勅語といいます。これは何も教育勅語の勅語に限ったことではありません。

練り歩く
これも神事を行う時や、ちょっと偉い人が一般の人と共に行進する様な時にきまって出てくる言葉ですね、
僕には「練り歩く」といえば昔大阪の心斎橋筋の、今でもあるかどうか確認してませんが、商店街の歩道の上の模様がS字形をちょっと引き伸ばしたような感じになっていて、小さい頃の僕はふざけてその模様に沿って右にふらふら、左にふらふら歩いてよく両親から人の迷惑や、といって怒られたものです。これが僕の語感であり、
「酔っぱらいが練り歩く」だと語感にぴったりします。

幻想的
暗い中でロウソクの火が灯っていたり、光のルミナリオ等を形容する時などに決まって現れますが、
これも何だか幻想はちよっとオーバーな感じがして赤面ですね。実際ほとんどの人は幻など生まれてからこの方見たことが無いでしょうし、更に幻想となれば何だか目眩を連想するのが僕の語感ですね。
「昨夜はちょっと飲み過ぎて幻想的な夢を見た」はぴったりします。

出馬
選挙に立候補することをマスコミは必ずこの単語を使いますね、何故でしょうか?
選挙戦をなぜ競馬に立候補者を馬に例えるのでしょうか?
外国人にわかるように説明することが出来ないだけでなく、僕の語感に合いませんね。
この場合は単に立候補が一番ピタリと来る単語ではないでしょうか。
そうか、実際に競走馬がレースで走る事は出馬でなく出走といいますね、
だったらいっその事「石田さんは今回の東京都知事選に◯◯丸出しが発覚するのを恐れ出走をとりやめた。」といえばいいですね。

もう一人は実際に出走して日本のジャーナリストと称する人はこの程度か、ということを見事に暴露しましたが。僕も気をつけなければ。
さて、勉強勉強。
(余談)
日本語の勉強は中国語では学習(シュエシ)と言わなければなりません
また、新聞といえば中国語ではニュースの事で日本語の新聞は報(バオ)といいますね。そういえば北京の胡同(フートン)なんかを夕方ぶらぶら散歩していると新聞売が「晩報・晩報(ワンバオ・ワンバオ)」とリズミカルな名調子で夕刊を売りに来たりします。

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