ドゥテルテ大統領と放送法
ドナルド・トランプ共和党大統領候補やフィリピンのドゥテルテ大統領の言動等を形容するのに「過激」とか「暴言」をあたかも決まり文句のように使用する安易なレッテルは、「梅にうぐいす、松に鶴、朝吉に清次」のようなもので、しかも新聞、テレビ等殆ど全てのメディアは同じジャジを下し同じ言い回しをしますね。
またある事件が起こったり有名人の発言が世間に公表された際しばし時を置いて断が下り、その後一斉に同じ方向へ論調が向かってゆきます。
これらの断を下す人は一体誰なんでしょう?
前回の参議院選挙は初めて18歳以上に選挙権が与られ話題になりましたが、共同通信社によると与党自民党への投票率は10代が40.0%、20代が43.2%、30代が40.9%だったそうです。つまりいわゆる若者・子育て世代は現在の安倍政権を支持している人がダントツに多かったという事を現していますね。
今の若者・子育て世代は、バブルが崩壊した1990年頃から賃金は上がるどころか、下降トレンドが続きおそらくOECD諸国の中でも最低レベルであり、将来の年金受給における所得代替率は現在の受給者の半分以下なのではないでしょうか?にもかかわらずこの世代の安倍政権の支持率がダントツなのは一体どうしてなのでしょう?
僕の子どもたち(といってももう家族を持って独立してますが)や孫(といっても来年高校受験ですが)をよく見ていると若い世代に共通しているある事に気付きます。
それは、新聞やテレビなどは殆ど見ないということです。さっき僕が感じていた事、すなわち同じ方向に向かう論調や断を下す人にようやくというか、流石に不信感を持ち始めてきているのではないかな?
そしてたった主要4紙、地上放送6局程度しかない既存のメディアがつまらないから、見ないというかアホらしくて見てられないのでしょうね。
トランプ候補やドゥテルテ大統領が必ず過激であって、暴言を吐き、「土人」と捨て台詞をした大阪府警の警官に集中砲火を浴びせ処分させ、安全保障関連法を戦争法といったり、年金の世代間の不公平を減らしサステナビリティを向上させる法案を年金カット法案といってみたり、国の借金は1000兆円を超え国民一人あたりの借金は800万円以上と不安を煽ったり、これ以上日銀が国債を買うと日本国債の信任がなくなり金利が急上昇するという謎の専門家を登場させたり、さらに挙句の果てには、「生前退位」などというけったいな言葉を全てのメディアが何の抵抗もなく使用するに至っては流石にちょっと待て、となってきませんか?
「生前」という言葉は、僕の語感では既に亡くなった人もしくは間もなく亡くなる人にしか使いません。この異様なミスマッチは7月何日かのブロクでも書きましたら、皇后陛下は10月20日のお誕生日のお話の中でこのようにおっしゃってました。宮内庁のHPから引用しますと、
「ただ,新聞の一面に「生前退位」という大きな活字を見た時の衝撃は大きなものでした。それまで私は,歴史の書物の中でもこうした表現に接したことが一度もなかったので,一瞬驚きと共に痛みを覚えたのかもしれません。私の感じ過ぎであったかもしれません。」
(英文)
It came as a shock to me, however, to see the words seizen taii (in Japanese, literally, abdicate while living) printed in such big letters on the front pages of the papers. It could have been because until then I had never come across this expression even in history books that, along with surprise, I briefly experienced pain upon seeing those words. Perhaps I might have been a bit too sensitive.
先進国の中で、全国共通で全国紙が存在し(沖縄を除く、ここはもっと酷い)テレビ局が実質6局しかなく、しかも全てが殆ど一握りの誰かが下した断の方向に論調が向かい、同じ言葉を使用し、同じ形容詞を用いるのは、やはり日本だけではないでしょうか?
米国などでは放送法にあたるいわゆるフェアネスドクトリン(faieness doctrine)はとっくに廃止され、何百局もの放送局が全く自由で何にも囚われず存在し、同じ論調の全国紙なんぞありませんね。
僕は以前テレビを見てるとバカになるのはあまりに低レベルなコンテンツが多いからだと思っていましたが、実はそうではなくある一定の方向に巧妙に頭の中が染められてしまい、「生前退位」に代表されるようにこんなけったいな言葉に何も感じなくなってしまいしかも選択の余地がなく同化されてしまうからなのでした。空気を読めない人はだめみたいな。
放送法第4条は直ちに撤廃し、限られた電波は入札制にし一部のメディアによる利権の独占を止め、様々なメディアによる自由闊達な発想が許容される時代を今の若い世代は求めているのでしょうね。
またある事件が起こったり有名人の発言が世間に公表された際しばし時を置いて断が下り、その後一斉に同じ方向へ論調が向かってゆきます。
これらの断を下す人は一体誰なんでしょう?
前回の参議院選挙は初めて18歳以上に選挙権が与られ話題になりましたが、共同通信社によると与党自民党への投票率は10代が40.0%、20代が43.2%、30代が40.9%だったそうです。つまりいわゆる若者・子育て世代は現在の安倍政権を支持している人がダントツに多かったという事を現していますね。
今の若者・子育て世代は、バブルが崩壊した1990年頃から賃金は上がるどころか、下降トレンドが続きおそらくOECD諸国の中でも最低レベルであり、将来の年金受給における所得代替率は現在の受給者の半分以下なのではないでしょうか?にもかかわらずこの世代の安倍政権の支持率がダントツなのは一体どうしてなのでしょう?
僕の子どもたち(といってももう家族を持って独立してますが)や孫(といっても来年高校受験ですが)をよく見ていると若い世代に共通しているある事に気付きます。
それは、新聞やテレビなどは殆ど見ないということです。さっき僕が感じていた事、すなわち同じ方向に向かう論調や断を下す人にようやくというか、流石に不信感を持ち始めてきているのではないかな?
そしてたった主要4紙、地上放送6局程度しかない既存のメディアがつまらないから、見ないというかアホらしくて見てられないのでしょうね。
トランプ候補やドゥテルテ大統領が必ず過激であって、暴言を吐き、「土人」と捨て台詞をした大阪府警の警官に集中砲火を浴びせ処分させ、安全保障関連法を戦争法といったり、年金の世代間の不公平を減らしサステナビリティを向上させる法案を年金カット法案といってみたり、国の借金は1000兆円を超え国民一人あたりの借金は800万円以上と不安を煽ったり、これ以上日銀が国債を買うと日本国債の信任がなくなり金利が急上昇するという謎の専門家を登場させたり、さらに挙句の果てには、「生前退位」などというけったいな言葉を全てのメディアが何の抵抗もなく使用するに至っては流石にちょっと待て、となってきませんか?
「生前」という言葉は、僕の語感では既に亡くなった人もしくは間もなく亡くなる人にしか使いません。この異様なミスマッチは7月何日かのブロクでも書きましたら、皇后陛下は10月20日のお誕生日のお話の中でこのようにおっしゃってました。宮内庁のHPから引用しますと、
「ただ,新聞の一面に「生前退位」という大きな活字を見た時の衝撃は大きなものでした。それまで私は,歴史の書物の中でもこうした表現に接したことが一度もなかったので,一瞬驚きと共に痛みを覚えたのかもしれません。私の感じ過ぎであったかもしれません。」
(英文)
It came as a shock to me, however, to see the words seizen taii (in Japanese, literally, abdicate while living) printed in such big letters on the front pages of the papers. It could have been because until then I had never come across this expression even in history books that, along with surprise, I briefly experienced pain upon seeing those words. Perhaps I might have been a bit too sensitive.
先進国の中で、全国共通で全国紙が存在し(沖縄を除く、ここはもっと酷い)テレビ局が実質6局しかなく、しかも全てが殆ど一握りの誰かが下した断の方向に論調が向かい、同じ言葉を使用し、同じ形容詞を用いるのは、やはり日本だけではないでしょうか?
米国などでは放送法にあたるいわゆるフェアネスドクトリン(faieness doctrine)はとっくに廃止され、何百局もの放送局が全く自由で何にも囚われず存在し、同じ論調の全国紙なんぞありませんね。
僕は以前テレビを見てるとバカになるのはあまりに低レベルなコンテンツが多いからだと思っていましたが、実はそうではなくある一定の方向に巧妙に頭の中が染められてしまい、「生前退位」に代表されるようにこんなけったいな言葉に何も感じなくなってしまいしかも選択の余地がなく同化されてしまうからなのでした。空気を読めない人はだめみたいな。
放送法第4条は直ちに撤廃し、限られた電波は入札制にし一部のメディアによる利権の独占を止め、様々なメディアによる自由闊達な発想が許容される時代を今の若い世代は求めているのでしょうね。
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